レース後は後泊予定でしたが
メンタル的にズダボロで、内臓も気持ち悪く
心身ともにやられていて
超疲れてたけど
とにかく、とにかく!家に帰りたくて、
ホテルの荷物をかき集めて最後の力を振り絞り
横浜へ帰宅しました。
そして、そんな時でも行きたいお風呂の国(心のオアシス)
お風呂の国に行かないと人間に戻れないので
鞭打って行き、その日は寝ました。
***
レース翌日は仕事も前倒しさせてもらってたおかげで
何もなく、いつまでも布団の中でぐずぐずしていたら
姉からの電話。
「あんたは自分に厳しすぎるよ!」と
「もっともっと「このくらいでいいや。」でやらないと!
体が悲鳴あげてるよ。」
と朝から姉の説教。
母は、「ナギサには寒すぎる、温かくなるまで待ちなさい」w。
マラソンに興味も全くないうちの家族なのに
私のリザルトを見て心配していたそうです。
応援してくれていた父は去年他界したけど
父の助言通り、大阪国際スタートの整列では
一番目立つ帽子を被り、思いっきり手を振りました。
見ていてくれただろうか。。。
***
時間が経っても、このゴールできなかった
もやもやは消えないし残っています。
でも不思議だけど
自分の気持ちとは裏腹にどんどんと
やる気が起きつつあること。
ランナーってひたすら前進するスポーツだから
前にしか向けないし
進むしかない。
それに走るって
個人スポーツなのに
ラン友がみんな優しい。。。
また走ろう!、次いこう!、と誘ってくれ
連絡をくれる。
私がずっと底辺彷徨ったって走らなくたって
誰にも影響しないのに。
(ありがとうございます。。😭)
一緒に大阪国際で収容車に乗ったEさんとは
必ず次はゴールしようと約束しました。
そうしないと、終われないよね。と。
***
今日、うっちーさんと話しました。
レース前何があったか。
どんなものを食べてどう過ごしたか
レースはどうだったか。
一つずつうっちーさんに話すうちに
自分でも全然気づかなかったことにきづき!
原因が浮き彫りになりました。
自信の無さから
たくさんの色々を当日、取りすぎていました。
そこに、無理矢理、12時スタートだから
10時にカステラを2切れ押し込みました。
普段、量が食べられない自分には
前日夜にしっかり食べると
レース当日朝、食欲がないのが課題です。
普段の30kmもロング走の数々も
全然ご飯少しで適当で走れてしまうのに
レースのときだけやりすぎすぎたのかもしれません。
人に話さないと、
このことに気づきませんでした。
*
その後はうっちー鬼軍曹からの説教が
永遠と続きました笑!
「ジェルよりも、自分のやってきた練習に
自信を持ちなさい!」と
レースはやってきた練習で走れるんだから!
と、こっ酷く言われました。
でもうっちーさんが言ってることって
至極当たり前の事で。。。本当にそう。
ジェルやアミノ酸たくさんとっても速くはならないんだ。
***
レースの回を重ねるごとに恐怖心や
緊張感が増し、
故障を重ねて思い切り走れず
自分に自信が持てなくなっていました。
自分の目指すレースには、有名な女性ランナーさんが
たくさん集まっててドキドキしたり。。
でも!!私もその一員で、その一人なんだってこと。
チームもないし監督もいないけど、
ラン友もいてうっちー監督もいるw
根拠のない自信だけで走ってきたのに
それを忘れちゃダメだ!
何にもなくたって、走れる。
***
大阪では3回とも大撃沈かまして
コンクリートに手をつくくらいの這うような走りばかりだったけど
大阪が好きです。
応援もあたたかかくて、何より人が優しい。。。
35km地点、田島の喫茶店リバージュの
ママさんの優しさ。「女性が走るのは大変だよね」と
お水を出してくれました。
(大阪の皆様、私の代わりにお茶しに行ってください!)
大阪国際が本当に好きです。またでたい。
もうずーーーと出続けようと思います。
(月例みたいにw)
41回大会は280人だけの出走でした。
またあのスタートに立ち、天に向けて
思い切り父に手を振りたい。
私は元気に走ってるよ!と。
⇧OPPナギサ、2回目のトイレから出て慌ててるところw
@産経pic
大阪国際は名前入りのゼッケンです。
このゼッケンがしたくて、大阪国際を目指しました。
目指し始めたのはタイム3:21の時。
この頃の自分に今の自分を見られたら怒られそうです。
やっとここから始まりなのかもしれません。
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