私の父は2年前に亡くなったのですが
未だに居ないって思えません。
父の死後、自分の細胞の一つ一つは
父と母からできている事に気づいて
死んでいても、父の生命は自分の中に宿っていると
気づきました。
父の存在は自分の中にいつも生きています。
*
お葬式の最後の挨拶は私がやりました。
喪主の母、長女の姉ではなく、私がやることを
誰も止めなかったし、むしろ私が母のために用意した
挨拶の文を、葬儀会社の方が読んで、
私がやった方がいいと促してくれました。
*
2年経っていろんなことが落ち着き
父がいない毎日が普通の日々にはなりましたが
もう一つやらなければならないことが
残っていて、それに着手しました。
死因はアスベストが原因で
30年以上も前、父の仕事(インテリア)でアスベストを扱い、
70歳の父を連れて行ってしまいました。
その補償を受けるべく、
手続きすることになりました。
病気が発覚してから補償が受けられると
知っていてもそれどころではないと言っていたのに
しっかり色々と父は調べていました。
父が生前メモで残していた
アスベストを吸ったであろう経緯や
仕事内容、場所、
自分自身の経歴など、書いた紙をみて
字を見て、
父をすごく感じ、
不思議と、物や部屋に宿るものと違い、
その人の字、書いたものは
もっと色濃くその人が宿っていました。
*
父は無念だったと思うし本当は悔しかったと
思う。
その当時一緒に作業してた仲間はみんな亡くなったと
言っていたけど、
その素材が毒だなんてみんな知らなかった。
父の特徴的な字や、
すごく律儀なメモに
父の存在を発見し、胸がいっぱいで
最後まで必ずしっかりと届を出して
私が申請するから。と誓いました。
*
文字や書いたものって、その人が死んでも
残るんだとすごく思いました。
当たり前なことだけど
でもその字のなかには必ずその人がいる。
こんなにも残ると言うことに驚きと、
手書きの素晴らしさ、力を感じました。
手で描くこと、これはやっぱり無くせないと
思います。
無くさないで、
本当に伝えたいことは、手で書いておきたいと
思いました。
*
父の晩年の夢は、故郷である新潟に帰り
漁師になりたいと言っていました笑。
夏になると、真っ黒に日焼けしてる私を見て
めちゃくちゃ喜んで褒めてくれた父も、
毎週釣りにって真っ黒でした。
またいつか一緒に海で泳ごう。
それまでは、
元気いっぱい走って泳ごうと
思います。
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